フリーターへの道【バイト探しから退職まで】

福祉系の学校を卒業し
障がい者の施設に就職。うまくいかず1年で退職。
ここでは退職前の時期について書いていきます。
(ちなみにこの話は今から15年位前の話)

ほぼ体験談になりますので、参考になることはあまりないかもしれませんが
仕事を辞めようか辞めないか、悩んでいる方はこんな人もいるんだなと思っていただければ。

 

スポンサーリンク

フリーター生活への道

実は施設を辞める少し前、
ちょうどインフルエンザが流行る季節という事もあり
見事に私も体調を崩していました。

当時の私の仕事は、施設の職員+軽食喫茶の店員という
私にしかできない仕事内容のものでした。
(一緒に働いていた栄養士さんもいましたが、その子はその子でやる事がいっぱい)

当時の私の心の中
忙しすぎて人に教えるくらいなら自分でやってしまった方が楽
具合が悪くても仕事ができる人がいないから休めない
こんなことなら誰かに一日の流れだけでも教えておけばよかった
でも忙しくて誰に頼めばいい?

自分のやる事でいっぱいいっぱい。
人に教えるというスキルもなく、そのせいで具合が悪くても、休めないのです。
自分がいなくなればお店の仕込みをする人がいなくなり、お店が回らなくなります。

 

こんな生活嫌だ。

お金もらっているんだから仕事には辛くても休まないで行くもの
きっとそうなんだろうけど、当時の私は
「こんなに辛い思いをしてまでお金をもらわなくていい」
と思っていました。

そしてついに、高熱が出て、寝ていたロフトから降りられなくなり笑
その日は施設を休んで何とか病院へ。
急性胃腸炎と言われ、何日か休むよう言われましたが
仕事が心配な私は熱が下がった次の日くらいには出勤していました。

休んだ結果、仕事できる人がいないならいないで
いる人で何とか頑張れている。という事に気づきます。

当時の私は自分の仕事にしがみついて
自分しかできないんだからだれにも頼らず頑張らなくては
という謎の使命感のような呪縛に駆られていたのでしょう。

自分しかできないという事が、逆に心の中では大きな自信となっており
勝手に自分がいないとだめだ、と思い込んでいました。

この事をきっかけに、糸が切れて
誰かに任せて辞めようと思うようになりました。

 

仕事探し

昔は今のようにネットで仕事情報が簡単に手に入るというわけではなく
仕事探し、バイト探しと言えばコンビニなどに無料で置いてあるフリーペーパーを見ること。
当時は仕事帰りに、毎週月曜日に出る無料の求人誌を楽しみにしていました。

胃腸炎から復帰後、求人誌を読み漁っていた私は
とても魅力的なバイトを見つけます。

「コンサートなどの運営スタッフ」

しかも時給がとてもよく、土日のみでもOKという。
当時、私の仕事は平日のみで土日は休み。

福祉の仕事はとにかく給料が安く、
私の施設ではサービス残業が当たり前だったため残業代もほぼ0です。
手取りが10万いかない月もありました。

正社員ではない職員はバイトをしてもOKだったため
土日に別の仕事をしている職員もいたくらい。

私も、バイトしたい!と思ったのです。

とは言っても日々の業務で心底疲れ、
土日のどちらかは店の仕込みでサービス休日出勤する日もある。
バイトをする体力はないと、しばらく応募するのをためらっていましたが
この求人何週間も掲載されている…
あ、また今週も載ってる
まだ募集してるな…
と。

もしかしたら、これは私にこの仕事をしろという神様のお告げかもしれないと
仕事に病んでいた私は思い込み、とりあえず面接を受けに行くことにしたのです。

 

面接へ

もう2度と書かないものだと思っていた履歴書を書き
街中にあるビルへ向かいました。

面接の電話をした際、長期希望か短期希望か聞かれて
今は土日しか出れないですが、4月になったら仕事を辞めるので
フリーで入れます。みたいな感じで答えたところ

「コンサートの仕事はぶっちゃけ男の子の需要が多いんで、
女の子だと競争率が高くてあんまり入れないんだけどいい?」

というようなめちゃくちゃ軽い答えが返ってきたのを覚えています。

それまでお堅い職場で
書類の書き方が違うと怒られた後、保護者からも苦情の電話が来たりして。

え?もしかして、なんか違う世界があるのかも。
これを逃したら一生後悔するような気がする!
と思って「はい、大丈夫です」と答えました。

それなら面接するから履歴書書いてきてといわれ、面接へ。
ビルは本当にボロくて、入り口のドアもなんて言うんでしょう?
プレハブの小屋についているような銀色のサッシのドアで
とにかくボロボロの事務所でした。

面接なので、一応スーツを着て行ったのですが、
完全な場違い。
タバコ臭い事務所に入ると、電話で話したであろう男の人が出迎えてくれました。
と。
私もクタクタになるまで働いているのでなんとなく察したのですが
この人、めっちゃ疲れてるな!
というのが第一印象で。

もうすべてが投げやりな感じで、とっても態度が悪かったんですね。
でも、コンサートのスタッフって、
このくらい態度でかくないとできないのかなぁとも思ったりして。

 

とんとん拍子に進む話

話してみると、意外といい人で拍子抜けしたのも覚えています。
そして、私の履歴書を見てパソコンできるんだーと少し考え

「ちょっと事務のバイトもあるんだけど、そっちやらない?
事務バイトなら週5で入れるし、今の仕事より稼げると思うよ」
と。

事務なんてやったことなかったけど、
日ごろの仕事で他所に電話をしたり書類を作ったりすることには慣れていたので
直ぐに「良いですよ」と答えました。

話を聞くと、コンサートのスタッフとして働く人員の手配やこうした面接の対応
その他会社の仕事をすべて一人でこなしていたようで。
後々私が任されることになるのですが。
(それはもうとんでもない仕事量でしたね笑)

 

こうして仕事を辞めるまでは、土日にあるイベントスタッフとして
優先的にバイトに入れることになり
仕事を辞めた4月からはコンサートなどの運営の下請けをする
イベント会社の事務として働けることになったのです。

次の仕事が決まってるって気持ちが楽

次の仕事が決まったからと言って
日々の業務から逃げられることはなく、施設の職員として軽食喫茶の店員として
最後の最後まで働きました。
(業務内容を後続の職員さんに引き継ぐ予定だったのですが、
その職員さんも現在の仕事が忙しく直接教えることができないため膨大なマニュアルを作る羽目に…)

それでも最後は施設でお別れ会まで開いていただき
本当に一生懸命働いていたので、一番手のかかった子から花束をもらった時は
みんなの前で大泣きをしてしまいました。

 

最近の若者は全然仕事が続かないと、家族には猛反対されましたが
これは私の人生。

家族に何と言われようと、お金を稼いで自分で生きていかなければならない。
お金を稼ぐために仕事をして生活する。
生活するにはお金がいる。
お金がいるけど、つらい仕事を一生続けて果たして幸せなのか。

自分にしかできない仕事をこなしているのはとても誇らしい事。
だけどそれは同時に自分を苦しめてもいた事。

誰かに頼ることを覚え、自分がいなくても何とかなる事に気づき仕事を辞めました。

こうして、フリーターへの第一歩を踏み出したのです。

 



タイトルとURLをコピーしました