仕事が嫌すぎて逃亡した話3【捜索願】

社会人になりたての頃の話。
イベント会社の事務のアルバイトをしていましたが
私は急に仕事に行かなくなりました。

絶対にしてはいけない事…俗にいうバックレです。

子供じゃないんだから、「辞めます」と言えばいいのに
どうして言えないんだろう。

辞めたいのに、辞めたいと言えず
我慢して我慢した結果
急に仕事に行かなくなるという暴挙に出ました。

自分のしたことを肯定するわけではないのですが
当時は自分の気持ちを誰にも相談せずに仕事を抱え込んでしまい
自分で自分を追い詰めていました。

もう少し仕事を楽に考えて、みんなで協力しようという考えを持って
柔軟に進められていれば。

異常な責任感と悲劇のヒロインになったような
曲がった精神が生み出した愚かな結果です。

逃亡する直前の話はこちら

仕事が嫌すぎて逃亡した話2【イベント会社】
イベント会社の事務としてアルバイトをして半年ほどたった頃。 仕事の忙しさはピークに達していました。 隙あれば辞めたい、疲れたと思う日々。 詳しくはこちら ちょっと話がそれますが、私は昔、吹奏楽...

 

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真面目っていい事ばかりじゃない

 

「捜索願?なんで?」

「あんたどこにいるの?」

「東京」

「東京?好きな人でもいるの?仕事はどうしたの」

「仕事はもうやめる」

「今日不動産屋の人から連絡が来たのよ。
職場の人がね、あんたが2日も出勤してこないから
暑さで家で倒れてたら大変だって思って、家に来たんだってよ。
だけど返事がないから不動産屋さんに電話したんだって」

 

母親との会話はこんな感じだったような気がします。
私は言葉を失いました。
というか絶望しました。

真面目な私が無断欠勤をしたから、
おかしいと思ったCちゃんが家に様子を見に来てくれたらしいのですが応答なし。
電話も通じない。

 

前日、喉が痛いと言っていたため、中で倒れているのではと思いながら
その日はいったん帰ったらしいのですが
次の日になっても出勤してこないのを心配になり
鍵を開けてもらえないか不動産屋に連絡したんだそうです。

不動産屋はただでは鍵を開けられないので
保証人になっていたうちの親に連絡をして開けていいか同意を求めたのですが、
うちの親はどこの親よりも心配性で過保護な人たちでしたので
それはもう大変な騒ぎになりました。

 

そうして事は大ごとになり、部屋の鍵ををあけても私はいない。

慌てた両親が私のアパートに到着、
警察に相談しようとしていた矢先に私から連絡が来たとの事。

 

私は本当にやってはいけないことをしているのに
「あーあ、自由な生活はもう終わりか」
と思ってしまっていました。

もう少し不真面目に仕事をしていれば
無断欠勤をしてもここまで大ごとにならなかったんじゃないかとか思ったりして。

それからはとにかく帰ってきなさい、
帰ってくるまでアパートに泊まるという母親の話を聞き、
父親からは手のかかる家族を置いてここにきているんだから
早く帰ってきなさいという言葉をかけられ。

「だったら私の事なんて放っておいてよ」

と言ってしまいました。

 

家族の事

 

少し話がそれますが、私の家族は少し特殊で。

おばあちゃんは身体障害者、弟は知的障害者。
お父さんはこの頃はまだ発症していなかったけどのちに鬱になります。

「手のかかる家族を置いてお前を探しに来たんだから」

ぱっと聞くと、すべてを投げうってあんたの所に来たんだよ
って感じでいい言葉に聞こえますが、私にとっては火に油を注ぐような
やっちゃいけない事、言わないでよそんなことって感じの言葉なのです。

いつもいつも、私の前には障害を持った弟の存在があり
私は頼りになるお姉ちゃん、我慢強い何でもできるお姉ちゃん。
じゃないと、お母さんたちにいい顔をしてもらえない。
褒められない。

そんな思いが植え付けられていて。

例えば誕生日って、自分が主役じゃないですか。
だけど私の場合は、私が主役ではあるし
ちゃんとプレゼントもケーキも目の前にあるけど
両親は駄々をこねる弟の食事を手伝っている。
一緒に話をしながらケーキを食べたいのに、
一緒にもらったおもちゃで遊びたいのに。

親は弟の相手をしていて、私は皿に乗せられたケーキを食べて
1人でプレゼントの包装紙を外し大事にそれをしまっておく。

寂しかったんですね。
もっと構ってほしかったんですね。
構ってもらうには親の目を引かなければいけないんです。

一生懸命勉強してテストでいい点数を取ったり
得意じゃないけど目立つために学級委員になったり
弟のお世話もしっかりしたし。

とにかく、頑張ってたんです。

 

これが異常な責任感につながる原因なのではないかと思います。

 

そんな感じでいろいろあり、だんだん頑張っている自分に疲れて
家を出たいと思うようになったのが中学生の頃。
その話はまた今度書きます。

だから実は実家も嫌いで。
ほとんど連絡を取っていなかったのです。

 

束の間の自由

話を戻しまして。
もううまく説明できないんだけど、
本当に私の事が心配なら
他の家族の事なんて話に出さないでほしかった。

今はお前の事だけが心配でここに飛んできたんだ、
そう言ってほしかったのですねきっと。

いつも他の家族の事ばかり最優先に考えられてしまい
寂しかったんでしょうね。きっと。

手のかからない姉を一生懸命演じていたのは自分なのに。
私は小さなころから自分で自分の首を絞めていたのですね。

結局「私の事は放っておいて」という願いは聞き入れてもらえず、
私はその夜の新幹線で家に帰ることになりました。

深夜にアパートに着くと中には憔悴した両親が。
母親からハグをされかけましたが
私はそれを半ば突き飛ばすように拒否します。

これから自由になろうとしていたのにそれが台無しだ
早く帰れ!みたいなことを言ったような気がします。

なんという親不孝者なのでしょう。

こうして私の逃亡生活はたったの2日で幕を下ろしました。
逃亡生活というか、ケータイを変えて東京に行き
何もせずに帰ってきただけ。

当時は自分は何も悪いことはしていないと思っていました。
本当に反省しています。

仕事はそのまま行かなくなりましたが、
覚えていますでしょうか?

そう、事務所にサックスを置きっぱなしにしていたのです。
取りに行こうか、行かないか。
事務所の鍵もあるし、行く気になったらいけるな…と
しばらく経った日。
夜に事務所に行きこっそりサックスを持って帰ってきました。
鍵は事務所のポストの中へ。
これで、すべての縁が切れたような気がして清々しい思いをしたのをよく覚えています。

 

フリーター生活の一つ目の仕事はこんな感じで終わりました。
一番やっちゃいけないやつですが
バックレって一回やっちゃうと癖になります。

本当に嫌になる前に、ちゃんと相談できる友達や上司を作っていたら
相談できたかな。
今こうして昔の事を書いていたら
当時は本当に、自分勝手でプライドの高い人だったなと思いました。

さて、フリーター生活はまだ始まったばかり。
次はどんな仕事をしたか、もう少しお付き合いください。

 

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